2018年7月30日月曜日

いもっち船長の徒然日記

船が休んでいる間にやることもあまり無いので、てきとーなことを書くこの日記。

頭の体操にはなるようです。

巷では8月が近くなり、また例年のように戦争報道がだんだん増えてきました。NHKに特に。

映画でも「この世界の片隅に」でしたっけ、映画がヒットしたりドラマになったり、ヒット作が出るのはいいことですが、ふと、いや、これいつまで続けるんだろう?と思いました。

戦後73年も経っていまだに戦争を忘れるな、とばかりにテレビでは繰り返す。私も戦争なんて知らないし、まして私の子供世代なんて尚更なのに、いつまでそれに縛られないといけないのか。

でもこう言うと、いまの日本では、「非国民」と言われるような風潮みたいですww

しかし、戦争を忘れるな、ということは、そこから発展できない、羽ばたけないということを意味するんじゃないでしょうか。

しかも今テレビでやってる戦争関連の番組は、本当に当時の実際の状況を伝えているんでしょうか?私は相当美化されたり、誇張されたり、或いは歪曲されて事実とは異なったことが伝えられているのがほとんどと思います。

この「この世界の片隅に」のように、映画やドラマの題材として扱われるのはいいと想いますが。ある意味、時代劇感覚で。半分史実、半分フィクションとして。ああ、こういうこともあったんだな、という感覚で。

しかし問題なのはNHKあたりのやってる所謂「戦争特集」、もういい加減忘れさせて解放してもらって次に向かわせてくれよ、というのが本音です。

そんなことに囚われているのはあんただけだと言われるかも知れませんが、ただ明らかに今の日本は(他国のことは知りませんが)戦後体制を引きずった制度の中で生きることを強いられていると思います。

一言で言えば、窮屈なんですね。そして何より子供達がかわいそうです。

一つ例を上げれば受験戦争。今は推薦なんかあって我々の時代よりだいぶマシになったものの、(もっとひどくなった部分もあるかも)私の子供世代には少なくとも受験勉強なんてものは無くなってるんだろうなと思ったけど、まだやってる。

あ、私は50代半ばです。

でも本来の日本はもっともっといい国だと思います。ちょっと戦後の体制の中で、その時の「敗戦」の衝撃があまりに強くて立ち直りに時間がかかっただけであって。

私は88年から4年間、韓国に留学に行きましたが、その時の韓国は貧しいけれど本当に韓国の人はみんな生き生きしていて、楽しかった。国民みんなが家族のようで、ケンカもするがすぐ仲良くなって、一緒にご飯食べて一緒に寝て遊んで。言いたいことが好きなだけ言えた。

本当に天国のようでした。(矛盾も勿論多かったと思いますが)

日本に比べて貧しいし、お湯は出ないし、道は舗装されてないし、トイレの水は流れないしトイレットペーパーは流せない(流すと詰まるので横のゴミ箱に捨てる)し、不便なことが多かったけど、何より自由で、人が親切でした。

日本から来たのか、かわいそうだからご飯食べてけ、もっと食べろ、泊まってけ、今日も泊まってけ、お金無いだろうからここに住め、お前一人くらい食べるくらいの米とキムチはあるし、布団もあるぞ、こんな感じでした。

その後、李明博の時でしたっけ?異常なまでの反日政策をとったりしておかしくなってきて、今は韓国もだいぶ変わってしまいましたが。それでも・・・

最近やっと気づいたことは、私が学生時代に体験した韓国の姿は、実は戦前くらいまでの日本の姿に近いものだったんじゃないかと。あんな自由な雰囲気がかつての日本にあったんじゃないかと。

だったら当時の韓国よりもっと自由で楽しくて、それこそ、ハチが花の蜜に酔いしれてしまって後ろからこそっと羽を抜いても気づかないほどの喜び、を常に感じるような社会を作ることのできる基盤が日本にはあるような気がします。

本当に嬉しい時に人は、もう死んでもいい!!といいますが、死んでもその喜びは続くんでしょうね。

本当の喜びを感じるのは、やはり人と人との繋がりの中でしか生まれないと思います。全くの他人と出会ったらその時から兄弟、という言葉が沖縄にあるそうで、韓国にも遠くの親戚より近くの隣兄弟、という言葉があります。

それを今の日本は忘れてしまっているのではないか。ただ一時的にです。

愛は尽くして忘れなさい、という言葉を聞いたことがあります。そう、愛も尽くすだけ尽くして忘れてしまえばいい。そうすればいつしかいやでも回り回って自分に帰ってくる。恨みも尚更忘れてしまえばいいということです。

だから窮屈な思いがどこか日本に蔓延している。自由になれない。羽ばたきたくても何故か飛び立てない。

その原因の一つが、敗戦の衝撃を引きずって、今もそれを子供、孫の世代にまで引き継いでしまっていることだと思います。

よかれと思ってしているかもしれませんが、今や弊害でしかなくなった気がします。

そこから脱却すれば、少なくとも今より何十、何百倍もの自由で愛溢れた社会を築くことができるような気がします。


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